失恋教室
女性は恋に生きるものだから悲しい恋も絵になるけれど、恋しても恋しても捨てられは捨てられている男って、只、恰好悪いだけですね。
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女性は往かない事が出来るか?
去年の今頃だろうか、啓子とそんな談議をして、啓子の話を聞いた。
女性は往かない事が出来るか?
基本的には難しい。
男の場合は長持ちさせる為にぐっと我慢する!という事が出来るし、往かないまま終わる事も出来る。
其れは自動的な制御の場合の話だが、それは自律心の強い女性なら女性でも出来るそうだ。
一方、他動的な刺激に対しては女性の場合基本的には難しいと言う。
男の場合でもエロスが強い女性とかワギナのよく動く女性とか、所謂名器の女性だと我慢は限界に達して、
つまり女性に追い立てられる様に”往かせれて”しまう。
其れは女性の場合でも同じで、幾ら我慢しようとしてもどんどん突きあげられれば耐えられなくなって、
”往かされてしまう”ということらしい。
啓子が言うには、女性の身体の中には”淫ら”に対しての鍵穴が有って、そこを一度でも開けられて、
一度筋道を立てれば女性は誰もが往けるようになるし、逆に言えば誰に抱かれても往くのだそうだ。
つまり、女性が往かない様にするには鍵のかからない扉を力で抑えて”往かない”様にするのだが、
所詮鍵のかからない扉が開けられてしまうのは時間の問題ということらしい。
以前、女房にレイプされた時、女性は”往くか?”と聞いた事がある。
女房は”往かない”、”殆ど往く筈が無い”と言わんばかりに決めつけていたが、啓子は”往くでしょう”と言う。
二人の意見は違った。
女房も啓子もだけば必ず往く、二人とも”往き筋が通った女”という意味では同じなのに意見が違うのは面白い。
多分、二人の性格の違いだと思うが、体質の違いなのかも知れない。
或いは経験の違い? そういう事かも知れない。
女房は啓子より二つ下、だけど年代からしてこの違いは関係無いだろう。
女房は男を一人しか知らないけれど啓子は亭主にも抱かれている、この違いは客観性に於いてかなり違う気がする。
二人の男に抱かれても同じ様に”往く”という事は、”往く・往かない”は男の問題では無く女の問題という事だ。
二人の男、どっちに抱かれても往くという事は三人目の男でも四人目の男でも、例え知らない男でも往くという
可能性を暗示している。
経験の違いという意味では、啓子は女房より8才か9歳早く処女を失っている。
十代の後半での初体験と二十代の中後半での初体験では、ものの考え方も違う気がするけれど、もっと決定的
な事は、”道筋”を付けられた時。
迂闊なことに女房が何時、”道筋”を付けられたのか覚えていない。
いつの間にか、気がついたら往く様になっていたという感じだが、啓子の場合は初めての時から往った。
初体験の時から往った女性というのは啓子と障子しかいないから、啓子の意見はチョト特別なのかも知れない。
生まれつき感受性の高い身体のせいかも知れないから、例外なのかも知れないが、レイプでも往くというのは
人にもよるだろうけれど、基本的にはアリだと思う。
只、レイプは男の方が異常に早い速度で興奮して爆発してしまうのだろうから、結果的に女は”往かなかった”
という事は多分にある気がする。
所謂強姦的な暴行レイプで女性に手足ををバタバタされたら男はその刺激だけで直ぐに往ってしまうだろうけど、
女性の同意を求めないで無理やり犯してしまうという場合は、男のそういう興奮は入れる迄だけ、
入れてしまえば落ち着くから、後は普通と同じに出来るし、長持ちさせながらやることも出来る。
女性が既に”道筋”が通っている女性だったら、半強姦的にやられた場合でも長持ちされたら”往かされる”。
そういう意味では啓子の説の方が正しい気がするし、レイプされても只苦痛だけで、いい気持にならないから
往く筈が無いという女房の説も、尤もだとも思う。
結局、どちらも正しい意見なのかも知れない。
女性は往かない事が出来るか?
基本的には難しい。
男の場合は長持ちさせる為にぐっと我慢する!という事が出来るし、往かないまま終わる事も出来る。
其れは自動的な制御の場合の話だが、それは自律心の強い女性なら女性でも出来るそうだ。
一方、他動的な刺激に対しては女性の場合基本的には難しいと言う。
男の場合でもエロスが強い女性とかワギナのよく動く女性とか、所謂名器の女性だと我慢は限界に達して、
つまり女性に追い立てられる様に”往かせれて”しまう。
其れは女性の場合でも同じで、幾ら我慢しようとしてもどんどん突きあげられれば耐えられなくなって、
”往かされてしまう”ということらしい。
啓子が言うには、女性の身体の中には”淫ら”に対しての鍵穴が有って、そこを一度でも開けられて、
一度筋道を立てれば女性は誰もが往けるようになるし、逆に言えば誰に抱かれても往くのだそうだ。
つまり、女性が往かない様にするには鍵のかからない扉を力で抑えて”往かない”様にするのだが、
所詮鍵のかからない扉が開けられてしまうのは時間の問題ということらしい。
以前、女房にレイプされた時、女性は”往くか?”と聞いた事がある。
女房は”往かない”、”殆ど往く筈が無い”と言わんばかりに決めつけていたが、啓子は”往くでしょう”と言う。
二人の意見は違った。
女房も啓子もだけば必ず往く、二人とも”往き筋が通った女”という意味では同じなのに意見が違うのは面白い。
多分、二人の性格の違いだと思うが、体質の違いなのかも知れない。
或いは経験の違い? そういう事かも知れない。
女房は啓子より二つ下、だけど年代からしてこの違いは関係無いだろう。
女房は男を一人しか知らないけれど啓子は亭主にも抱かれている、この違いは客観性に於いてかなり違う気がする。
二人の男に抱かれても同じ様に”往く”という事は、”往く・往かない”は男の問題では無く女の問題という事だ。
二人の男、どっちに抱かれても往くという事は三人目の男でも四人目の男でも、例え知らない男でも往くという
可能性を暗示している。
経験の違いという意味では、啓子は女房より8才か9歳早く処女を失っている。
十代の後半での初体験と二十代の中後半での初体験では、ものの考え方も違う気がするけれど、もっと決定的
な事は、”道筋”を付けられた時。
迂闊なことに女房が何時、”道筋”を付けられたのか覚えていない。
いつの間にか、気がついたら往く様になっていたという感じだが、啓子の場合は初めての時から往った。
初体験の時から往った女性というのは啓子と障子しかいないから、啓子の意見はチョト特別なのかも知れない。
生まれつき感受性の高い身体のせいかも知れないから、例外なのかも知れないが、レイプでも往くというのは
人にもよるだろうけれど、基本的にはアリだと思う。
只、レイプは男の方が異常に早い速度で興奮して爆発してしまうのだろうから、結果的に女は”往かなかった”
という事は多分にある気がする。
所謂強姦的な暴行レイプで女性に手足ををバタバタされたら男はその刺激だけで直ぐに往ってしまうだろうけど、
女性の同意を求めないで無理やり犯してしまうという場合は、男のそういう興奮は入れる迄だけ、
入れてしまえば落ち着くから、後は普通と同じに出来るし、長持ちさせながらやることも出来る。
女性が既に”道筋”が通っている女性だったら、半強姦的にやられた場合でも長持ちされたら”往かされる”。
そういう意味では啓子の説の方が正しい気がするし、レイプされても只苦痛だけで、いい気持にならないから
往く筈が無いという女房の説も、尤もだとも思う。
結局、どちらも正しい意見なのかも知れない。
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