失恋教室
女性は恋に生きるものだから悲しい恋も絵になるけれど、恋しても恋しても捨てられは捨てられている男って、只、恰好悪いだけですね。
Entries
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
- --------
- カテゴリ : スポンサー広告
- コメント : -
- トラックバック : -
-件のコメント
コメントの投稿
-件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://siturenkyousitu.blog.2nt.com/tb.php/2308-1dad8b21
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
偶然の一致 「八つ手観音」
a href="http://blog-imgs-12.2nt.com/s/i/t/siturenkyousitu/20110104070622f5e.jpg" target="_blank">
1973の春まだ浅い頃だったと思う。
退院して初めてのデイトだったかも知れないが、陽子を連れて箱根の散策に行った。
デイトと言えばデイトだったのだろうけれど、あの頃の陽子とのデイトはあまりデイトという意識は無かった。
なんと云っていいか分からないが、どちらかと言うと介護者、ホスピタリティと云うか、ボランティア的な
感覚の方が強かった気がする。
確かに意識した介護的な支援、そういう感覚は何処かに連れて行く時はデイトと感覚よりも強かった。
が、然し、一方で悪魔的な感覚もデイトを支配していから、偽善者だ!という意識も根底には持っていた。
陽子とのお出かけは殆ど箱根周辺、というか富士山が見える所だったのは、陽子が富士山が好きだから。
・・という事もあったけれど、近くて時間的にも経済的にも都合よく陽子の身体を楽しむにも好都合だった
からと言うのが本音だった。
女を抱くのに抱き易い場所と、抱き難い場所いうのは有る。
普通の女と逢う時は抱く事を目的として逢っても、女が抱かれムードになってからという意識があるけれど、
陽子の場合は寧ろ逆、陽子がそう言うムードにならない様に絞っていた事が多かった。
そういう感覚は陽子に対してだけしか持った事は無い。
陽子とのデイトは、殆ど人の居ない所、それは陽子を抱来やすいからなのだが、他の女とは意味が違う。
普通は、此方がしたいから人の居ない所を探すのだけど、陽子の場合は人がいても脱いでしまう事があるから、
人がいる処はコッチが困る。
その日のデイトは人に知られていない街道、殆ど廃道に近い極めてマイナーな旧街道で、殆ど山道だった。
昔から旅の往来に使われていた街道では無く、殆ど地元の村の人たちが、限られた範囲の目的で往来していた
街道、そんな感じの道、街道の支線という感じの道だった。
其処で小さな石仏を見つけた。
近くに立て札があって八つ手観音と書いてあったから今でも旧道マニアが歴史の探索に来る道なのかも知れない。
そこにさしかかった時、此処でしたいと思った。
そしたら、驚いた事に陽子もそう思っていたらしく、僕がそう思った時と同時に脱ぎ始めていた。
ここでしたいと思った瞬間と合致したので驚いた。
だからどうという事でも無いけれど、同じタイミングで同じ事を考えていた事に凄く感動して、若しかしたら、
此の子と相性がいいのかも知れない、そう思うと、結婚してもいいかも知れないと思った。
タイミングが合う女というのは素晴らしいと前から思っていた。
ムード作りとか前戯とかが必要な女もいるけど、面倒、やりたいと思ったら直ぐやれる女の方がいい。
やる迄のプロセスを楽しみたいと思うのは初めての時だけ、二度目からは、女はもう抱かれるのを承知であって
いるのだから、何時でもテンパイしている女がいい・・そんな感じに。
普通、女がその気になった時には、こっちはもう発車寸前状態と言うのでは女おしても不満だろう。
だからと言って何回してあげる能力は無いから、女はとり残されてれしまう・・それも女に気の毒。
何回もしては上げられないけれど、その代り延々と時間をかけてやるのは得意だから、女が降参する迄爆発を、
抑える事は出来る。
こういう体質に合う女が一番いい相方、・・となると、やっぱりO型の女がいい。
O型の女は愛撫だとか前戯を好まない本番重視、身体の準備が出来ていない内に強引に入れられても全く平気だし、寧ろその方を好むし、何回入れられても何時間入れられても、兎に角入れられている事そのものが好きだから、
とても相性がいい。
その頃は陽子がどう言うタイミングでそのモードに入るのか理解出来ていなかったし、それは今でも解らないのだが、
兎に角僕僕のモードとは関係無く自分のモードを持っていた。
いつもそうという訳ではないが殆どそのモードに入るのが僕より早い。
だから辺りを構わず脱ぎ出してしまうのだろうが、それも一寸問題だ。
モードが合致するのが一番だが、そぅで無ければやっぱり、女は男に先行されて引きずられる方がいい。
石仏の前・・昔から墓とか石仏とかひなびた神社仏閣の様な場所に来ると僕はそのモードに入る傾向にある。
女と一緒じゃ無く、一人だったら一人でもやりたいと感じるし、一人でやったこともある。
石とか鉄とか木とか水とか、そういう物に反応するみたいだ。
だから、神社とか寺とかには男とも家族とも行きたくない。
陽子のモード入りは僕のモード入りとは全然違う原因だから、単なる偶然の一致だったのだろうけれど、
八つ手観音の一致は何時も陽子に先行されていたからもあって、生涯忘れられない”一致”になった。
1973の春まだ浅い頃だったと思う。
退院して初めてのデイトだったかも知れないが、陽子を連れて箱根の散策に行った。
デイトと言えばデイトだったのだろうけれど、あの頃の陽子とのデイトはあまりデイトという意識は無かった。
なんと云っていいか分からないが、どちらかと言うと介護者、ホスピタリティと云うか、ボランティア的な
感覚の方が強かった気がする。
確かに意識した介護的な支援、そういう感覚は何処かに連れて行く時はデイトと感覚よりも強かった。
が、然し、一方で悪魔的な感覚もデイトを支配していから、偽善者だ!という意識も根底には持っていた。
陽子とのお出かけは殆ど箱根周辺、というか富士山が見える所だったのは、陽子が富士山が好きだから。
・・という事もあったけれど、近くて時間的にも経済的にも都合よく陽子の身体を楽しむにも好都合だった
からと言うのが本音だった。
女を抱くのに抱き易い場所と、抱き難い場所いうのは有る。
普通の女と逢う時は抱く事を目的として逢っても、女が抱かれムードになってからという意識があるけれど、
陽子の場合は寧ろ逆、陽子がそう言うムードにならない様に絞っていた事が多かった。
そういう感覚は陽子に対してだけしか持った事は無い。
陽子とのデイトは、殆ど人の居ない所、それは陽子を抱来やすいからなのだが、他の女とは意味が違う。
普通は、此方がしたいから人の居ない所を探すのだけど、陽子の場合は人がいても脱いでしまう事があるから、
人がいる処はコッチが困る。
その日のデイトは人に知られていない街道、殆ど廃道に近い極めてマイナーな旧街道で、殆ど山道だった。
昔から旅の往来に使われていた街道では無く、殆ど地元の村の人たちが、限られた範囲の目的で往来していた
街道、そんな感じの道、街道の支線という感じの道だった。
其処で小さな石仏を見つけた。
近くに立て札があって八つ手観音と書いてあったから今でも旧道マニアが歴史の探索に来る道なのかも知れない。
そこにさしかかった時、此処でしたいと思った。
そしたら、驚いた事に陽子もそう思っていたらしく、僕がそう思った時と同時に脱ぎ始めていた。
ここでしたいと思った瞬間と合致したので驚いた。
だからどうという事でも無いけれど、同じタイミングで同じ事を考えていた事に凄く感動して、若しかしたら、
此の子と相性がいいのかも知れない、そう思うと、結婚してもいいかも知れないと思った。
タイミングが合う女というのは素晴らしいと前から思っていた。
ムード作りとか前戯とかが必要な女もいるけど、面倒、やりたいと思ったら直ぐやれる女の方がいい。
やる迄のプロセスを楽しみたいと思うのは初めての時だけ、二度目からは、女はもう抱かれるのを承知であって
いるのだから、何時でもテンパイしている女がいい・・そんな感じに。
普通、女がその気になった時には、こっちはもう発車寸前状態と言うのでは女おしても不満だろう。
だからと言って何回してあげる能力は無いから、女はとり残されてれしまう・・それも女に気の毒。
何回もしては上げられないけれど、その代り延々と時間をかけてやるのは得意だから、女が降参する迄爆発を、
抑える事は出来る。
こういう体質に合う女が一番いい相方、・・となると、やっぱりO型の女がいい。
O型の女は愛撫だとか前戯を好まない本番重視、身体の準備が出来ていない内に強引に入れられても全く平気だし、寧ろその方を好むし、何回入れられても何時間入れられても、兎に角入れられている事そのものが好きだから、
とても相性がいい。
その頃は陽子がどう言うタイミングでそのモードに入るのか理解出来ていなかったし、それは今でも解らないのだが、
兎に角僕僕のモードとは関係無く自分のモードを持っていた。
いつもそうという訳ではないが殆どそのモードに入るのが僕より早い。
だから辺りを構わず脱ぎ出してしまうのだろうが、それも一寸問題だ。
モードが合致するのが一番だが、そぅで無ければやっぱり、女は男に先行されて引きずられる方がいい。
石仏の前・・昔から墓とか石仏とかひなびた神社仏閣の様な場所に来ると僕はそのモードに入る傾向にある。
女と一緒じゃ無く、一人だったら一人でもやりたいと感じるし、一人でやったこともある。
石とか鉄とか木とか水とか、そういう物に反応するみたいだ。
だから、神社とか寺とかには男とも家族とも行きたくない。
陽子のモード入りは僕のモード入りとは全然違う原因だから、単なる偶然の一致だったのだろうけれど、
八つ手観音の一致は何時も陽子に先行されていたからもあって、生涯忘れられない”一致”になった。
0件のコメント
コメントの投稿
0件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://siturenkyousitu.blog.2nt.com/tb.php/2308-1dad8b21
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)