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「遥かなる山の彼方に」 1 快刀乱麻(11)

拳法の練習が終わるのを待って、未だ道着姿のままの天城に晶子は恐る恐る話し掛けた。
 山を辞めてしまった天城にJRC入会の意志は全く無さそうな気配だし、名前だけ登録しろと言ってもとても聞かなさそうな雰囲気だ。
拳法が忙しいと言って断るだろうか、それとももう山はやらないと言うだろうか・・・、晶子はガンが反対した槍ヶ岳を言い出すたじろぎを感じたが思い切って切り出した。
 
 「槍に一緒に行って欲しいんだけど……」
 「何時だ?」
 「えっ…」
 
 余りにもあっさりした天城の返事に晶子は自分の耳を疑った。
 予測だにしなかった天城の返事に戸惑いすら覚えた。
 「今週の土曜」
 咄嗟にそう言ってしまった。
 「いいよ、じゃあな!」

 天城は短い言葉を残して部室に消えて行った。
 晶子は狐に抓まれた様に暫し立ち止まったまま口が閉まらなかったが、やがて歩き出すと地下からの階段を跳ねる様に登って表に出た。
 ビルの谷間に沈みかかっていた晩暉が、又、昇り返している様に見えた。
 歩道を数歩歩いた晶子は天城の真似をして空拳をきって「えい、えい!」と勝鬨を揚げた。

 その週の末に二人は槍の登山に出発した。
 まだ冬姿のままの槍ヶ岳は雪深く、真っ白に眩しく跳ねる槍沢は容易な登高を許さなかったが晶子の足取りは軽かった。
晶子は終始先頭を歩いた。
 浮き足立っている事を晶子自身感じていたがセ-ブする事が出来なかった。
 何回も何回も天城が後を付いて来ているかと振り返った。
天城は何も喋らずに黙々と付いて来ていた。
それを見た晶子は益々嬉しくなってどんどんペースを上げた。
 天城は晶子の早いペ-スを制止しようとしなかった。
それは天城がこの山に危険が無い事を無言で語っていた。
何時もの天城だった。
何も変わったところは無かった。
 少なくとも彼は山への愛を失ってない……そう晶子は思った。
 穂高での“感傷”に耐えられれば天城は帰って来る、再びあの喜びに満ちた充実した日々が三人に蘇って来る……、晶子はこみ上げて来る震えを止められなかった。

 槍の頂きで可愛い少女達を見掛けた。
 実際には晶子達と同じ年位かも知れないが晶子には年下の少女に見えた。
 少女達の一人が晶子と天城に好奇的な視線を送っていた。
 その少女の視線を捕らえた天城を晶子は少し気に留めたが、“三人の日々の復活”への興奮にその事は直に忘れてしまった。
 古くから小満と呼ばれるこの時期は陽気が盛んで万物が次第に成長し一応満足の行く大きさになると言われているが、晶子が小満を知っていて天城を槍へ誘ったのかは明らかではない。

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Author:ひろあき
振られる度に、もう恋なんかと何度思ったことか。相手にされないのも寂しいけれど、引寄せられてからストンと捨てられるのはもっと痛い。振られる度に臆病になって、此れは恋では無かったのだと慰める。傷つかない偽りの恋しか出来なくなっても恋は恋、小さくても偽物でも恋は至福です。

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