失恋教室
女性は恋に生きるものだから悲しい恋も絵になるけれど、恋しても恋しても捨てられは捨てられている男って、只、恰好悪いだけですね。
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同窓会⑩ 千人風呂は二人風呂
奥さんと高野山に行った。
流石此処まで来ると走りでがある。
奥さんの出産予定から逆算すると奥さんは妊娠二カ月か三カ月?という感じ、その頃って一番ヤバイのでは?
と言ったのだけれど、奥さんは行ってみたいという。
実は、高野山の近くに好きなツーリングコースがあって、個人的には其処へ行ってみたいとは思っていたのだが、
妊婦さんを連れて行くには一寸ハード過ぎる。
だから行くつもりでは無く、其処にいいコースがあるんだと言っただけなのだが奥さんは平気だという。
平気かどうか、奥さんが決める問題では無くて赤ちゃんが決める話だろう!と言ったのだけど、大丈夫という。
まあ、凸凹林道を走る訳ではないから、震動的には大したことは無いだろうけれど、それでも飛ばすコースだし、
スリルも十分過ぎるから、赤ちゃんへの負担は少なくないかも知れない。
しかも、妊娠二、三か月というのは一番流産し易い時期、基本的には賛成しかねるのだけれど、あのコースは
是非連れて行って上げいという気もあって、結局決行という事に。
高野山は、和歌山県にある標高約1,000m前後の山々の総称で、どれが高野山という訳でも無いらしい。
平安時代に弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗の発祥の地として有名な山、
「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心に一大宗教都市という感じ、高野山真言宗総本山金剛峯寺を始め
大小117の寺があるそうだ。
弘法大師と言うのは空海の事だけを言うのだろうか? どうもその辺が分からない。
弘法大師は日本中なかなり広域な山に形跡がある。
日本の山は宗教登山で開かれた山が多いが、あたかも弘法大師が初登頂したかの様に伝えられている山が多い。
然し、平安時代に弘法大師一人がそんなに沢山の山を切り開いたとは考え難い。
で、結論としては弘法大師は空海一人でなく、沢山いたのではないだろうか?と思うのだがどうだろう。
龍神のツーリングは楽しかった。
妊婦を乗せているというのは、また独特な刺激があった。
どういうのだろう、他の男の子を孕んだ女を乗せているというのは実に不思議な感覚、乗せている女の身体に
他の男の子が宿っている、其処には自分の存在が無いのに女は命を預けている・・・それは実に妙な気分だ。
奥さんはしっかりと抱きついていた。
それはお腹の子を庇う様な抱きつき方、女としてではなく母親として抱きついている、そんな感じがした。
千人風呂という処に行ってみた。
正式には仙人風呂というのかも知れない。
川底から湧きあがる熱湯に川の水を引き込んで温度を下げて風呂にしている感じなのだが殆ど誰もいなかった。
どうやら季節が違ったらしい。
伊豆とか丹沢とかは冬は温度が低くて入れない温泉が多いけれど、其処は逆、冬しかやっていないらしい。
夏だと熱すぎる?という事なのか? 冬しか湯がわかないのか?よく分からないけど不思議な温泉だ。
川原のアチコチに手掘りの跡があった。
川底の石を掘り起こして湯を探しだした跡という感じ、千人は入れそうな広い河原に一人か二人しか入れない
小さな手掘りの風呂、そんなものが幾つかあって子供達が遊んでいた。
手を入れてみると熱くて冷たい。
上手く掻き混ざらないという感じで、入っても気持よく入れるという気はしないし、掘り方が浅いので
せいぜい腰まで入るかどうかという位だから風呂としての実用は無理。
然し川原での水遊び的な感覚なら入れない事もない。
奥さんに入って見る?と半分冗談で聞いてみた。
元々千人風呂というのはこの川の対岸までの全体を言ったのだろうと思わるが、ちゃんと掘られている大風呂も
千人は無理にしても百人や二百人は問題無く入れそう。
その大風呂は葦ずが掛かっていて対岸の道路かは見れない様に成っているし更衣室もある感じ。
奥さんと混浴露天に入って見たくてやって来たのに、閉湯中とは実に残念。
然し、ともかくも奥さんに混浴に入れようと思っていた魂胆はバレてしまった。
奥さんは二人で入るのは全く平気だけど知らない男に裸を見られるのはどうだろう?
奥さんの身体を他の男に見させたいという気持もあったけれど、恥ずかしがっている奥さんの様子も観て
みたかったから態々来たのに、目論見だけバレて、実際に見れないというのは反って気恥ずかしかった。
手掘りの釜は道路沿い、車からは見えないけれど歩いている人からは全部見えてしまう。
更衣室がある訳でも無い天然の野ざらし、無理だとは思ったけれど、案の定断られてしまった。
然し僕には伝家の宝刀が二本も三本もあるから、其れを駆使して強行に及べばなせない事もなかったとは思う。
流石此処まで来ると走りでがある。
奥さんの出産予定から逆算すると奥さんは妊娠二カ月か三カ月?という感じ、その頃って一番ヤバイのでは?
と言ったのだけれど、奥さんは行ってみたいという。
実は、高野山の近くに好きなツーリングコースがあって、個人的には其処へ行ってみたいとは思っていたのだが、
妊婦さんを連れて行くには一寸ハード過ぎる。
だから行くつもりでは無く、其処にいいコースがあるんだと言っただけなのだが奥さんは平気だという。
平気かどうか、奥さんが決める問題では無くて赤ちゃんが決める話だろう!と言ったのだけど、大丈夫という。
まあ、凸凹林道を走る訳ではないから、震動的には大したことは無いだろうけれど、それでも飛ばすコースだし、
スリルも十分過ぎるから、赤ちゃんへの負担は少なくないかも知れない。
しかも、妊娠二、三か月というのは一番流産し易い時期、基本的には賛成しかねるのだけれど、あのコースは
是非連れて行って上げいという気もあって、結局決行という事に。
高野山は、和歌山県にある標高約1,000m前後の山々の総称で、どれが高野山という訳でも無いらしい。
平安時代に弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗の発祥の地として有名な山、
「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心に一大宗教都市という感じ、高野山真言宗総本山金剛峯寺を始め
大小117の寺があるそうだ。
弘法大師と言うのは空海の事だけを言うのだろうか? どうもその辺が分からない。
弘法大師は日本中なかなり広域な山に形跡がある。
日本の山は宗教登山で開かれた山が多いが、あたかも弘法大師が初登頂したかの様に伝えられている山が多い。
然し、平安時代に弘法大師一人がそんなに沢山の山を切り開いたとは考え難い。
で、結論としては弘法大師は空海一人でなく、沢山いたのではないだろうか?と思うのだがどうだろう。
龍神のツーリングは楽しかった。
妊婦を乗せているというのは、また独特な刺激があった。
どういうのだろう、他の男の子を孕んだ女を乗せているというのは実に不思議な感覚、乗せている女の身体に
他の男の子が宿っている、其処には自分の存在が無いのに女は命を預けている・・・それは実に妙な気分だ。
奥さんはしっかりと抱きついていた。
それはお腹の子を庇う様な抱きつき方、女としてではなく母親として抱きついている、そんな感じがした。
千人風呂という処に行ってみた。
正式には仙人風呂というのかも知れない。
川底から湧きあがる熱湯に川の水を引き込んで温度を下げて風呂にしている感じなのだが殆ど誰もいなかった。
どうやら季節が違ったらしい。
伊豆とか丹沢とかは冬は温度が低くて入れない温泉が多いけれど、其処は逆、冬しかやっていないらしい。
夏だと熱すぎる?という事なのか? 冬しか湯がわかないのか?よく分からないけど不思議な温泉だ。
川原のアチコチに手掘りの跡があった。
川底の石を掘り起こして湯を探しだした跡という感じ、千人は入れそうな広い河原に一人か二人しか入れない
小さな手掘りの風呂、そんなものが幾つかあって子供達が遊んでいた。
手を入れてみると熱くて冷たい。
上手く掻き混ざらないという感じで、入っても気持よく入れるという気はしないし、掘り方が浅いので
せいぜい腰まで入るかどうかという位だから風呂としての実用は無理。
然し川原での水遊び的な感覚なら入れない事もない。
奥さんに入って見る?と半分冗談で聞いてみた。
元々千人風呂というのはこの川の対岸までの全体を言ったのだろうと思わるが、ちゃんと掘られている大風呂も
千人は無理にしても百人や二百人は問題無く入れそう。
その大風呂は葦ずが掛かっていて対岸の道路かは見れない様に成っているし更衣室もある感じ。
奥さんと混浴露天に入って見たくてやって来たのに、閉湯中とは実に残念。
然し、ともかくも奥さんに混浴に入れようと思っていた魂胆はバレてしまった。
奥さんは二人で入るのは全く平気だけど知らない男に裸を見られるのはどうだろう?
奥さんの身体を他の男に見させたいという気持もあったけれど、恥ずかしがっている奥さんの様子も観て
みたかったから態々来たのに、目論見だけバレて、実際に見れないというのは反って気恥ずかしかった。
手掘りの釜は道路沿い、車からは見えないけれど歩いている人からは全部見えてしまう。
更衣室がある訳でも無い天然の野ざらし、無理だとは思ったけれど、案の定断られてしまった。
然し僕には伝家の宝刀が二本も三本もあるから、其れを駆使して強行に及べばなせない事もなかったとは思う。
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